「奉仕」という言葉があります。これは、「報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行う」ことをいいますが、世の中には、この「奉仕」の心でもって、人のために頑張っている人は多いのです。
子育てなら子どものため、親孝行なら親のため、家族のため、会社のためと、自分の身を削って頑張っているのです。最も、会社では「自分の人生の一部」、すなわち「時間」を売る代わりに、対価としてお金を得ていますので、厳密には奉仕というわけではありません。
それでも、真面目な人や責任感の強い人は、会社のために自分を捨て、時には家族をも犠牲にして一生懸命に働こうとします。会社にとっては、こういった働き方をしてくれる人材は非常にありがたく、また、手放したくないと思える人材です。
しかし、そのような働きかたは歪(ひずみ)を生み出します。身を粉にして働くことが悪いということではありません。しかし、何事もほどほどが一番であることからも分かるように、度が過ぎると自分が潰れてしまいます。
真面目で頑張りすぎる人は疲れやすい
診療内科やカウンセラーの元を訪れる人の中では、「頑張りすぎる」タイプの人が特に多いそうです。真面目な性格や責任感の強い性格の人は、特に頑張りすぎてしまうタイプです。「ほどほど」では満足できず、「もっと頑張らなければ」と自分を追い詰めてしまうのです。
このタイプの性格の人たちは、自分で意識せずとも「他人のために」頑張りすぎてしまう人たちです。その対象は家族や子どもに対しても同様ですが、特に仕事の面においてはそれが顕著に現れます。俗にいう「会社の犠牲」になりうる性格の人たちです。
もちろん、会社のために働くという意識は必要です。会社の業績が上がれば、自分の給料にも反映されます。ボーナスも増えるでしょう。そのお金で、家族を幸せにすることだってできます。
しかし、身を削って体の悲鳴を押し殺し、無理を重ねた結果が自分自信の崩壊であっては意味がありません。そうなってしまえば、結果的に長期間の休職を余儀なくされることだってありえるわけです。これでは、家族を幸せにすることができないばかりか、自分の幸せも遠ざかってしまいます。
心も体も健康でなければ働く意味が無い
そうならないためにも、時には「自分のために」という意識をもつ必要があります。誰かのために一生懸命になることは良いことです。そこから得られる貴重な経験も、長い人生において大きな糧(かて)となり得ます。
しかし、だからといって何かのために自分が犠牲になることはありません。人生は楽しまなければ損なのです。
そして、楽しむためには健康でなくてはなりません。お金が沢山あったとしても、健康でなければ使う事もできないのですから。
時には「楽をする」生き方も必要です。自分に厳しくするあまり、自分の手で首を締めているような状態は健全ではありません。「誰かのために」ではなく、「自分のために」を合言葉に、明日からの生き方について少し考えてみましょう。
時には手を抜くことも必要
長い人生の中では、ちょっとくらい楽をしたっていいのです。今まで頑張ってきたのだから、誰も咎(とが)めるようなことはしません。
もし、精一杯頑張ってきた中で、あなたの「楽」をする様を咎めるような人がいるならば、その人はきっと「自分が楽をしたい」タイプの人間なのでしょう。
そういったタイプの人間は、上司であったり先輩であったりする場合が多いのですが、その様な小言を言われたとしても、自分のことを第一に考えるようにします。
もちろん、ずっと楽をしたままではあなたの評価も落ちてしまいますから、「適度なダラダラ加減」を身に付けるようにして行きましょう。
しかしながら、自分のことを最優先に考えるということは、案外難しいものです。日本人はどうしても周りの目を気にしてしまう民族性がありますので、これはしかたのないことではあるのですが・・・。
世界に誇れる日本人の勤勉さも、裏を返せば「心の病の原因」となっているわけですね。