欠点であってもそれは自分の個性

個性なんていらない?平凡が一番疲れないの記事では、「本来の自分が持っている個性」を大切にし、無理をして個性を作る必要は無いということを書いたのですが、今回の記事では「欠点」であってもそれは個性であるという点について書きたいと思います。

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欠点が無い人間なんて存在しない

人間は誰でも、欠点というものを自覚しているものです。そして、その欠点に悩んでいます。しかし、それは誰にでも当てはまることであり、著名な有名人であっても、周りから見れば完璧に見える人であっても、自分自身の欠点に対する悩みは尽きません。

しかし、そういった欠点も含めてその人の「個性」であり、むしろ欠点があるからこそ、「人間らしく」見えるのです。本当に何一つ欠点が無い人間というものは、それこそロボットのような無機質さを感じてしまうことでしょう。

例えば、優柔不断さが欠点と感じている人であっても、それは「慎重」であることの証であり、誰よりも慎重に物事を進めるその性格は、仕事の現場では好意的に捉えられることもあります(自分が選択したことに誤りはない)。

自分は太っていると考えている人であっても、周りから見れば「包容力のありそうな、優しそうな人」に映ります。無口な人であれば、「クールで謎めいていて、かっこいい人」と映るかもしれません。

人間らしく見える人ほど欠点も多い

このように、自分の中で欠点について悩んでいくと、その欠点の「悪い面(マイナス面)」しか見えなくなってしまい、より強く、欠点に対して悩みを深めてしまいます。

しかし、その欠点も見る人によっては全く違う印象となります。「自分の中で考えていた評価とは180度違った」ということも十分起こりえるわけです。

長所であっても短所であっても、その出処はすべて同じです。どの様な自分であっても、それは全て自分自身の現れであり、それが「個性」なのです。

長所であっても欠点であっても、そのどちらか一方を疎ましく思い、自分を隠そうとする行為は、いかにも不自然です。欠点を隠そうとするあまり、自分の長所を失ってしまっては意味がありません。

大切なのは、自分の欠点も許容して、それも含めて「自分自身」であると意識することです。欠点が多いほど、人間臭く見える人も少なくありません。そして、そういった人程、「個性が強いな」と周りから評価されるものです。

自分の欠点ばかりを気にして、周りに対して自分を良く見せようという行為は、非常に疲れます。本来の自分を隠す行為というものは、ストレスも疲れも溜まる一方なのです。

「欠点も含めて個性」であると考えるようにすれば、日々の生活の中で受ける心の摩擦も、ずいぶんと軽いものになるはずです。

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