何事も「ためになった」と前向きに捉える人は疲れない

日々の業務の中で、上司に怒られたり、取引先のクレームに対応するといった事は、残念ながら避けては通れない道です。そして、怒られる度に、クレームを受けるたびに頭を下げ、耐え忍ぶしかありません。

心の中では、なぜ自分が?とか、そちらにも非はあるだろうといった気持ちで一杯になり、文句の一つも言いたくなるものですが、悲しいかな、社会人ではそれはご法度。やはり我慢をするしかありません。そして、当然ですがこういった出来事は非常に疲れてしまいます。悪循環とは重なるもので、一度悪くなった流れの中では、こういった悪い出来事が重なったりもします。

そうなってくると、疲れはどんどんと溜まっていき、精神的にも参ってしまいます。現代のストレス社会では、このような光景はあちこちで見受けられます。そして心身ともに疲れ果て、病院へ駆け込んでいく・・・。現代社会はこのような仕組みで動いていますので、どうしても避ける事が出来ません。

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「怒られる」ことも自分にとってプラスと考える

しかし、ここは考えを少し変えてみてください。先程、こういった出来事は避けては通れない道と書きましたが、言い換えればこれは「よくある話」なのです。上司のちょっとした小言や、取引先からの小さなクレームも、日々の業務の一環として捉え、あまり気にしない様にします。さらに、そのような小言を「金言」として受け止め、自分にプラスになるように考えます。

  • この上司は自分のために、あえて怒るという憎まれ役をしてくれているんだ。ありがたいな。
  • この取引先は、自分の小さなミスを的確に指摘してくれている。次からは同じ事をしないためにも、この言葉をありがたく受け止めておこう。

このように、怒られた事も全て「自分のために」とか、「ためなった」という方向で捉えると、不思議と疲れも少なくて済みます。

小善は大悪に似たりという言葉

少し話しは逸れますが、京セラの創業者、稲盛和夫氏の著書、【心を高める、経営を伸ばす】の中に、「小善は大悪に似たり」という言葉があります。これは、「小さな失敗を指摘しなかったり、怒らないということは、大きな罪と同じだ」という意味です。

部下や取引先が、何かしらの仕事で小さなミスをしてしまったとします。中には、「まあこれくらいはいいか」と思い、また、「こんな小さな事で怒っていたら相手も嫌な思いになるし、かわいそうだ」と思う人もいるかもしれませんが、それは相手にとってはまったく良い方向には向きません。

今回怒られなかった事で、また同様の失敗を繰り返す可能性があります。これは、本人のためにもならず、その会社のためにもならないのです。要するに、短絡的に良かれとすることが、本人にとって本当にいいことなのかどうか?ということが、「小善は大罪に似たり=小さな善は大きな罪となる」となるのです。

ためになったと考えれば疲れない

このような考え方を持てば、例え上司や取引先に怒られたとしても、何事も前向きに捉え、「ためになったな!」と思えるようになり、疲労の度合いも大きく軽減することに繋がります。

「自分が成長するため」と捉えても良いと思います。実際に、怒られるということは、自分では気付かなかった失敗に気付かせてくれる一面も持っていますので、一概にマイナスの面ばかりではありません。

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