新聞やTVニュース等で度々目にするようになった言葉、「過労死」。この言葉は、今では世界でも通用する言葉となっており、欧米の新聞にも「karoshi」と表記されている程です。まったく有り難くない意味で、世界的に有名になってしまった言葉です。
過労で亡くなるのは働き盛りの世代だけではない
過労で亡くなる方の中には、世間一般で言う「働き盛り」と言われる年代の人が多いのですが、20代や10代後半にも少なくありません。そして、過労死まではいかなくとも、「過労状態」のまま働き続けている若い人は、その何倍もの数となっています。
病院に訪れる若い人の中には、「体がだるい」「疲れからくるのか、体調が悪い」と訴える人も多いのですが、このことからも、「若いから疲れない」というのは、誤りだということが分かります。「まだまだ若いんだから大丈夫!」とか、「若いくせにだらしないな」といったイメージからはかけ離れた実態が、そこにはあります。
そして、働きすぎによって疲れはどんどんと蓄積していき、病気になってしまい、自分の生命を危うくしてしまう。最悪、本当に命を失ってしまうまで、働き続けてしまうのです。
このように、最悪の結果に陥ってしまうまでには、長い時間があったはず。過労死や過労性の病気には、このように長い期間をかけて、ゆっくりと疲れが体を蝕んでいくのが大きな特徴の一つでもあります。
頑張りすぎてしまうのは若いから
疲れは徐々に溜まっていきます。その過程で、体には様々な症状が現れていた筈です。 そして、精神的には体以上に、さらに疲れていた筈。ここまで体と心がボロボロになってしまうまで、なぜ休みもとらず、休業届けも出さずに、頑張りすぎてしまうのか?この理由にも、「若いから」ということが挙げられます。
もし、これが年配の人であれば、過労死、あるいは過労による病気となってしまうまでに、ダウンしているのではないでしょうか?年配ともなると、さすがに若い人程の体力はありません。前日、徹夜をしてしまったり、かなり無理をして仕事をしてしまった場合、次の日には体に変調をきたしてしまったために、ベッドから起き上がることができません。こうして仕方なく、会社に休みを入れる電話を入れて、その日はゆっくりと体の急用にあてる、といった事を行なえるのが年配者です。
同じように、若い人もクタクタに疲れています。でも、体力があるので、疲れきっている体でも体は動きます。がんばって朝起きて、いつも通りに出社し、また仕事に精を出す。若い人はこのようにして、疲労をどんどんと溜め込んでいってしまいます。
もちろん、疲れた体であっても、残業もしますし、飲みに誘われれば、断りづらいのでしぶしぶ参加します。そして次の日、やはり重たい体を引きずって、また会社に出社していきます。さらに、休日出勤まで行なえます。
こうして、疲れきっているというのに、「自分はまだまだ大丈夫。元気だ」と勘違いしてしまい、さらに疲れを溜め込んでいくことになります。疲れに鈍感になってしまい、危機感も無く、「自分はまだ、休養する必要は無い」とはまったく思わないのです。
若いといっても限界はある
でも、いくら若いといっても、いずれは限界が訪れます。体力でカバーできないくらいに疲労が溜まってしまったとき、それまで溜め込んでいた疲れが堰を切ったようににあふれ出し、その際に「死」を招いてしまう、最悪の結果になることだってあるわけです。
年配者だと、そこまで行くまでにダウンしてしまうので、そうすることで「我が身を守る」ことにも繋がるので、ダウンすることによって、疲労の症状が悪化していくのを防ぐのです。
疲れは「死」を招き、最悪な結果を招くことに繋がります。この認識をしっかりと持ち、疲れを溜め込まないようにしなければいけません。
コメント
何言ってんだこいつ
なに本人が悪いみたく言ってやがんの
「若いから大丈夫だと『周囲が』勘違いしてる」の間違いでしょ(笑)