大切な会議の前に限ってお腹が緩くなる・・・。電車に乗ると急な腹痛に襲われる・・・。この様な経験、誰にでもあるのではないでしょうか。これは、緊張や不安によってお腹の調子が悪くなってしまう、「過敏性腸症候群(過敏性大腸症候群とも)」によるもので、心身症の代表的な症状の一つとされています。
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この疾患は、ストレスを日常的に抱えている先進国に多いと言われており、我々日本人にとってもある意味で身近(?)な疾患となっています。発生原因は主にストレスによるものと言われており、その証拠に、会社や学校以外の日常ではまったく腹痛が起こらないという人も少なくありません。
我慢もストレスとなる
会社勤めや学校、そして普段の生活の場であっても、人は我慢することでストレスをためこみ、そのストレスは徐々に体を蝕んでいきます。しかし、私達には「理性」があり、それによって我慢を強いられるような場面であっても、耐え忍ぶことで物事を円滑に進めようと努力します。
小言の多い上司や、命令口調で上から目線の先輩、友人、はたまた恋人や夫婦に至るまで、相手に言われたことに対して、言いたいことはあるけど「我慢」してしまうのです。
この「我慢」は、性格的におっとりしていたり、争い事を好まない平和主義者の優しい人が特に強いられることになる「我慢」です。一方、言いたいことは何でも言える人や、無神経な人にはあまり縁の無い我慢でもあります。
貯めこむことで心も体もダメージを受けてしまう
不満を貯めこむことに慣れてしまっている人は、「自分が我慢すればいいか」と考えがちです。そして、「自分は我慢強いから多少のことは大丈夫」と考え、相手に伝えることを他の理由で押し潰そうとしてしまいます。
しかし、そんな人であっても我慢もいつかは限界を向かえてしまいます。ここでいう限界とは、心の病や体の異常のことを指し、怒りや憎しみが爆発するといったものではありません。
優しくて協調性が高く、人を思いやるような性格の人程、この様な「限界」を向かえてしまう傾向にあるのですが、そうなってしまうのも、限界まで言いたいことを我慢してしまった結果にほかなりません。
どれだけ弾力性のある風船であっても、空気を入れ続けていけばいつかは破裂してしまいます。人間の心にも同じことが言えるのですが、限界を向かえて破裂してしまう前に、言いたくても言えなかったことを思い切って相手に伝え、自分自身の主張を相手にぶつける気概を持つべきです。
我慢することは日本人の美徳とされていますが、我慢ばかりでは一方的に殴りつけられるだけで、相手の思う壺となってしまいます。
自分が言いたいことを相手に伝えたからといって、全てが解決するわけではありません。しかし、何かを伝えることで、自分自身の中に溜まっていたモノが抜け、随分と気持ちが楽になることもあるわけです。
こういったガス抜きは、ほんの小さな変化ではあるのですが、我慢しているだけでは何も解決しません。何も変わり様がないのです。
冒頭に紹介した過敏性腸症候群の話しに戻りますが、我慢ばかりで「心のガス抜き」をしないために、ストレスを抱えて神経がすり減り、それが原因でお腹がゆるくなってしまうという人は多いのです。
会社に行くとなぜかお腹が緩くなる、という人は、職場の環境が我慢の連続になっていませんか?仕事自体がストレスになっているかもしれませんが、言いたいことを言えないような職場環境も、大きなストレスを抱え込む原因となってしまうのです。
伝えることで解決する問題も多い
人は誰でも、他人から少しでも良い人に見られたいという願望があります。嫌われたくないとか、変な摩擦を起こしたくないという考えも同様です。
他人からの評価が気になることは、社会欲を求める人間にとってはごく自然なことではあります。しかし、それが行き過ぎれば、言いたいことも何も言えない、息の詰まるような人生を送ることになってしまいます。
そうならないためにも、言うべきことははっきりと相手に伝えるようにするべきです。相手にとっても、「そうだったのか」と気づきになるキッカケとなりますし、それが功を奏して、職場の雰囲気も良くなる可能性だってあるわけです。
些細なことであっても、伝えることで解決に向かうことは以外にも多いのです。伝えることで解決できるようなことであっても、伝えなければ何も進展は得られません。他人は自分の心の中を見ることはできません。勿論、私達も相手の心の中をみることはできません。
だからこそ、言葉によるコミュニケーションが非常に重要となります。言葉とは、もちろん文字のことではありません。面と向かって対話する「会話」のことです。相手の目をみて、そして自分が言いたかったことを我慢せずに伝えるのです。
もし、それで関係が壊れてしまうようであれば、その相手とはそれまでの関係だったということです。そういった部分でも、相手と自分との関係の深さというものを計り知ることができます。
相手が適当に自分に接しているのならば、こちらも同様の接し方で十分でしょう。気を使ってこちらが神経をすり減らすこともないのですから。