大きな目標を立てると疲れてしまう

学生であっても社会人であっても、リタイアした団塊世代であっても、多くの人が「目標」を年始に掲げて、それを達成しようと考えますが、ここで言う「目標」とは、例えば習い事であったり資格の取得であったり、はたまた新たな趣味の開拓であったりと様々です。

しかし、考えてみると、私達は毎年毎年、年始に「今年の目標」を立ててはみるものの、「結局今年も何もできななかったな」を繰り返しています。もちろん、ちゃんと目標を達成する人も沢山いるわけですが、年の瀬になると、「やっぱり今年も大したことができなかったな」となるわけです。

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目標は小さくても良い

この様に、何かしらの目標を立ててはみたものの、結局は何もせずに終わってしまうという人は少なくありません。そして、目標を達成できなかったことに対して後悔したり、来年こそはと決意するのでが、翌年も同様に「何もできなかったな」となるわけです。

このパターンの繰り返しは、大きくて立派な目標を立てるほど繰り返してしまう傾向にあります。だからといって小さな目標であったとしても、達成することは意外に難しいものなのです。

自分ができそうにもない、大きくて立派な目標を掲げたとしても、所詮は「決意の空回り」です。そして、だからこそ、例えできなくても落ち込んだり後悔する必要は無いわけです。

そもそも、こうならないためにも、最初から「大きな目標」はなるべく掲げないようにするべきです。そうすることによって、目標に対して少しでも達成することができれば、それはそれで大きな喜びとなります。例え目標を達成できなかったとしても、落ち込んだり後悔することも少なくなるでしょう。

今年も年の瀬が近づくにつれて、「あぁ、今年も何も出来なかったな」とか、「立てた目標の半分も達成できなかったな」と、鬱々とした気持ちが湧き上がることでしょう。しかし、そもそも立てた目標のレベルが高すぎたわけで、「できなくて当たり前」だったわけです。

そう考えると、来年立てる目標はささいなものでもいいか。と思えるようになります。それどころか、無理をして目標や計画を立てる必要すら無いのかもしれません。

限り有る人生、与えられたその日その日を精一杯頑張る。それが目標でも良いのではないでしょうか。

目標のレベルは人それぞれ

「目標を低くもつ」ことや、「立派な目標は立てない」ということは、志が高い人から言えば「何を甘いことを」と感じてしまうかもしれませんが、人間の個々の能力には限界があります。

高い志をもって、立派な目標を掲げてそれに邁進していくことは非常に大切ですし、その姿勢は周りからみても立派に映ります。しかし、そういった考えを他人に押し付けるのはどうでしょうか。

「目標は高くもった方がいい」とアドバイスしたその相手だって、心の中では自分なりに「目標」を掲げているということを忘れてはいけません。なのに、「目標は持つべきだ」と言われてしまえば、相手にとっても面白くありません。

計画する目標の高低は、人によって大きく異なります。他人からみて、「低いな」と感じるものであっても、本人からすれば「高い」目標であるわけで、そういった「高低の差」がある以上、他人に対して自分の価値観を押し付けることは、「大きなお節介」となってしまいます。

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