複雑化する人間関係において、何故か上手く行かないという場合があります。学生にしても職場にしても、集団生活を送る場では、人と人との関わりに関する様々な問題が発生します。
時には意見が食い違い、激しい口論になることもあります。考え方は人によって様々ですから、自分の考えを相手に押し付けようとしても、歪が発生するだけです。
一人ひとりには問題は無いのに・・・
意見が対立し、収集がつかなくなれば、当然ですが上司や仲間が仲裁に入ることが自然です。
そして、それぞれの言い分を聞くことになるのですが、お互いに意見を主張しあっていたはずなのに、一人ひとりにじっくりと話を聞いてみると、皆それぞれにお互いのことを考え、気を使っているのです。
「自分の言い方にも問題があった」とか、「相手の意見にも同意できる部分はあった」というふうに、他人を思いやり、反省していることが多いのです。
この様に、一人一人はみな良い性格なのに、集まって意見を交わすと上手くいかなくなる。この「現象」とでもいうべき不思議な光景は、中小零細、大企業であっても同様に繰り広げられているのです。
人間関係とは、お互いが相互しあって作用するものです。意見の食い違いや対立があったとしても、誰が悪いというわけではありません。また、そういった人を特定することも難しいでしょう。
しかし、意見が対立する「きっかけ」は、どこからとも無く現れてきます。そして、この「何か」は、決まって二人以上の集団の現場に現れます。
人は他人を思い通りに動かしたがる
その「何か」とは、やはり「他人を自分の思い通りにしたい」という欲求からくるのではないでしょうか?
「人間関係を円滑にうまくやりたい」と考える場合、その考えの裏には、他人に対して「自分の思うようになってほしい」という欲求が隠れています。どの様な綺麗事を並べたとしても、自分が最も理想とする人間関係を実現させるためには、自分の都合のいいように他人が動いてくれることを望むわけです。
上記は、他人は自分の思い通りにはならないの中の、「自分にとって都合の良い他人は存在しない」の項目から抜き出した一文です。太字で強調した部分が、物事が上手く運ばない原因の一つであると考えられます。
人は、人に対して「自分の思いや考えを理解してもらいたい」と強く思います。それは、言い換えれば自分にとって「都合の良い他人」を作り上げることなのです。
しかし、他人は自分の都合が良い様には動いてくれません。集団生活の中で意見が対立する場面を見てみても、お互いに「自分を理解してほしい」と考え、それを相手に押し付けようとします。
そこに摩擦が生じて対立が生まれ、意見の食い違いが発生してしまうわけです。お互いに同じ方向を向いて、一つの目標に邁進することが決まっていたとしても、その実現の方法などで対立は発生してしまいます。
人は、他人が自分の思い通りに動いてくれなければ、強く不満に思ってしまいます。それは誰もが持っている感情であり、その感情を上手にコントロールできる人は、得てして良好な人間関係を構築することができています。
物事が上手く運ばない一番の原因。それは、他でもない、自分自身の心の中に潜んでいるのです。